草茫々  ふるさと亡々  わが涙滂々(ぼうぼう)

4年前の今頃、私は虎ノ門に派遣の仕事で通っていた。電話交換だった。3月11日の14時46分の揺れが来たとき、大阪からの電話をうけていた。電話の向こうの人はなにごともないような声で話し続けた……まるで違う世界だった。その日は定時まで仕事をし、歩いて家まで帰った。……津波のことも福一のことも帰ってから知った。世界は変わっていた。予兆はあったのに、きっとあったのに。そこから2,3日はいつも雨だったような気がしてならない。

私の仕事先の隣りのビルは経産省だった。そうして、経産省前テント広場ができた。そこは、建前ばかりの街に、浮彫みたいに現れた。血がどくどくと流れる心臓の音を気づかされるようだった。

いつの時にか/この巨大な原子炉建屋が/累々と崩れ落ち/苔むす日があろうか

1983年の小島力さんの詩の一節。福島県双葉町の葛尾村郵便局郵便局員だった小島力さんは、反原発運動を、詩を書き続けていた。「線量当たりなんぼの賃金」でタービン建屋に送りこまれる原発下請労働者の言葉。「住民は耳も目もふさがれている/事故が起きたって知らされるアテなんかねぇ」と……。

まっすぐな言葉はバベルの塔を、建前の街をこなごなに打ち砕く。

 

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劇団もっきりや。ひとりとひとり

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