20世紀の絵の前で 親と子の夜

埼玉……さきたま(魂)の場、都幾川のほとりに丸木美術館はぽつりと、建っています。

一番近い駅「つきのわ」からは歩いて30分位、巡回バスも一時間に一本というところです。トキ川という名のように時がここではゆっくり流れていくようです。

今回、この「20世紀の歴史絵」の前で、砂漠の音楽隊ゲイブ・アル・リシャット・アンサンブルの不思議な歌声と未来への音楽、斎藤ひろさんの祈りに満ちた歌、谷川賢作さんの音のひとつぶひとつぶと優しいうた。澄んでいくクラリネットの音。宝生方の金井雄資の世界観……不思議にすべてを受け止めてくれる場……共有の時を深く感じました。

さて大好きな小熊秀雄に詩です。

馬車の出発の歌  小熊秀雄

仮に暗黒が
永遠に地球をとらへてゐようとも
権利はいつも
目覚めているだろう、
薔薇は暗の中で
まっくろにみえるだけだ、
もし陽がいっぺんに射したら
薔薇色であったことを証明するだろう
嘆きと苦しみは我々のもので
あの人々のものではない
まして喜びや感動がどうして
あの人々のものといへるだろう、
私は暗黒を知ってゐるから
その向ふに明るみの
あることも信じてゐる
君よ、拳を打ちつけて
火を求めるような努力にさへも
大きな意義をかんじてくれ

幾千の声は
くらがりの中で叫んでゐる
空気はふるへ
窓の在りかを知る、
そこから糸口のやうに
光と勝利をひきだすことができる

徒らに薔薇の傍にあって
沈黙をしてゐるな
行為こそ希望の代名詞だ
君の感情は立派なムコだ
花嫁を迎えるために
馬車を支度しろ
いますぐ出発しろ
らっぱを突撃的に
鞭を苦しさうに
わだちの歌を高く鳴らせ。

丸木位里・俊の絵画を観ていると、過去の一瞬が立ち現れていくような感じがします。小熊秀雄は、丸木位里、俊と同時代、同じ場で生きた詩人です。

小熊が今、なにを喋りたくなるかずっと、ふたりの絵の前にたち思いをはせました。そして……

百姓達の夜は
どこの夜と同じようにも暗い
都会の人達の夜は
暗いうえに、汚れている
父と母と子供の呼吸は
死のように深いか、絶望の浅さで
寝息をたてているか、どっちかだ。
昼の疲れが母親に何事も忘れさせ
子供は寝床からとおく投げだされ
彼女は子供の枕をして寝ている
子供は母親の枕をして――、
そして静かな祈りに似た気持で
それを眺めている父親がいる。

どこから人生が始まったか――、
父親はいくら考えてもわからない、
いつどうして人生が終わるのかも――、
ただ父親はこんなことを知っている
夜とは――大人の生命をひとつひとつ綴(と)じてゆく
黒い鋲(びょう)のようなものだが
子供は夜を踏みぬくように
強い脚で夜具を蹴とばすことを、
そんなとき父親は
突然希望で身ぶるいする
――夜は、ほんとうに子供の
   若い生命のために残されている、と
                      
            小熊 秀雄 『親と子の夜』(遺稿)

ふたりの絵の前で今、もっきりやのひとりとひとりがどうしても、読みたくなった詩です。

 

 

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